くんさんのアウトプット帳

経験してきた事とか書いてみる

高校野球で、戦力外通告を受けた僕がレギュラーになるまでにとった弱者の戦略

自分しか書けないアウトプットを探してたら、面白そうな体験してるので、そん時の話を書いてみます。
今思うとビジネス戦略に通じる所が多いので戦略と名付けてみました。





私は松坂世代と言われる世代の高校球児でした。

中学から野球やってましたが、特別プロ野球選手になろうとも思ってもなく、高校入学したら、なんとなーく仮入部しちゃって、なんとなーく本入部してました。
その頃の私は、意志なんてなくて、流されるがままに生きてた感じがします。
親の言った通り行きたくもない男子校に行き、なんとなく学校に馴染めず、なんとなく野球ぐらいしか、することなかった感じです。


中学までは、なんとなーく、運動神経あれば、それなりにやれた無名校で、大会も初戦敗退しか知らない所にいました。その中学では2番レフトをやってました。





硬式の高校野球は、割とガチ勢が多く、生まれながらのマッチョネスや、強い中学出身の奴がゴロゴロいました。プロ野球のスカウトも来てたしね。
そんな中、私は165cmで細身の体つき。マジきつい。
部員数は50超えてたかなーぐらい。


ざっくり言いますと、打順1番~8番はホームラン打てちゃう強キャラぶりです。
きっと自分も練習して成長したら、そんくらいのことできるのかと錯覚してました。

そう!ベンチャー企業行ったら成長できるよ的な錯覚ね!
いつかそのうち、
いつかそのうち、
と思ってましたよ。。






回想スタート。


あれは、
私が1年生の夏の事。

入部して2ヶ月たったある日、
私は監督からこう告げられました。

「お前、飯当番ね」


へえ、高校ってそういうのもやるのか~と思ってたら、
正確には、
「練習ではなく、飯の用意をする」
事でした。

キャッチボール、トスバッティングで練習を終わらせ、他の人がフリーバッティング、シートバッティング、ノックをやっている時間は、ご飯の用意をする事です。


なんと、
男子校だとマネージャーがいないから、全部員の中から実力下位2名が選抜され、練習もできないマネージャーの仕事をする的なポジションがあったのです!!

先輩が言うには、
「事実上、今年の戦力外」
だそうです。

悔しかったか?で言うと、そうでもなく、冷静に見たら、確かにそうだな、と思い、それを受け入れてました。

「まあ、1年生だから、こんなもんか。高校って厳しいんだなあ」
そんな感じです。

だって上手くないしね!




私が1年の秋になると、
3年生が抜けて、2年生主体のチームになり、自分と同級生も1軍の試合で出るようになりました。

その頃も私は最下位争いを演じて、3軍です。
3軍は、バッティング練習はさせてもらえません。
1軍が15球、2軍は5球、フリー打撃ができる練習でした。

「まあ、1年だから仕方ないか」
と思ってました。

ダブルヘッダーがある練習試合の時だけ、
全員試合出れるんですが、私は8回からの守備変更でだけ、試合に出れました。もちろん打席は回ってきません。

「まあ、そんなもんか。3軍だし。まだ1年だし」




私が2年生の春。
3年の先輩の中でも、うまくない先輩は2軍に落ちてきました。

1軍練習してた先輩が練習量を減らされて、2軍練習をしてる光景は、恐怖を覚えました。
本人も、もうやる気無いらしく、適当に流してました。

「自分はこんな風になりたくないな」
「ぶっちゃけダセーな」
と思うのと同時に
「やる気無いなら、俺と代わってくれよ」
とも強く思いました。

自分も
一番上の学年になればなあ、きっと上がれるんだろうなあ。

ずっとそんな思いでいました。




私が2年の秋、
3年の先輩が引退し、自分の学年の代、主体のチームになりました。
よし、これで俺も1軍争いじゃー!
と思ったのも束の間、事件が起こります。



なんと、
私のポジションには、1年生の中で上手い奴が、
一軍になってて、私は2軍のままなんです!



まあ高校野球なら、当たり前の光景ですよね。
下手な奴には、
練習の機会なんて与えられないし、
上手い奴は最初から上手いんですもの。




なんじゃこりゃ。







それで嫌でも気付かされる。
現実を受け入れざるを得なくなる。






自分の能力の無さと、
いつかチャンスが訪れると期待していたこと、
そして、学年が下だからしょうがないって、
ずっと言い訳にしていたこと。
特別な意志も無かったことに!!!!





それを受け入れた途端、泣けてきた。
不甲斐なさが許せなかった。

そうです。
いつかそのうち、って
後回しにしてただけです。





辞めようと思ったが、
同時に思うことがあった。

「自分は、胸を張って、辞めれる程、やりきったのか?」
って自問自答。





やりきったのか?
辞めんのか?
逃げんのか?
誇れるんか?




言い訳ばかりしてきたのによ!!!!





そう思ったら腹が立ってしょうがなくて、
過去の自分に復讐したくて、決めたことがある。
自分革命をすることにした。



・残り一年でレギュラー取るために、一切、妥協しない
・過去の自分の当たり前を全部壊して挑みまくる
・俺は激烈やりまくったと誰にでも胸を張れる位やる。
※それができたら部活辞めてもOK

みたいな感じだ。





で、
決意したは良いものの、
何をしたら良いか分からない。
何せ、意志を持ったことがなかったから!

けどすぐに分かることは、あった。
全体練習を皆でやってるんだから、差が縮まらないのは当然。
だから、皆が練習してない時間に練習しないと駄目なんだ。
それだけは確実に分かった。


だから、
とりあえず一人で簡単にできる練習である、
「素振り」
を始めた。

それが良い練習かは、分からないけど、あれこれ考えて結局やらないのが怖かった。

だから、毎日欠かさずやった。


確か、最初は100スイングから。
それが継続できたら、徐々に数を増やす方式。
最後の方は
腰を痛めたので右振り200左振り200くらいはやってたな。


居残り練習はモチロン、休みの日も、試合があった日も、遠征でも、正月でも、修学旅行の自由時間までも、毎日毎日欠かさなかった。

もう、素振り狂ですね。
毎日欠かさなかった理由は、1日でも休まなかったら、やりきったって言えるから。

そのうち、素振るのが習慣になっちゃっただけなんですけど。






それやってても、全然うまくならなかったし、
打てるわけでもなかった。
まあ、当然ですね。



ただ収穫はあった。

何も考えず、素振りしまくってると、結構、頭はヒマなんです。

だから、ヒマ潰しじゃないけど、目的意識を持つようになり、

よしインコースだ、アウトコースだ、カーブだ、と妄想した球筋で素振りしていくようになりました。

けど、全然打球は鋭くならない。

そこで、あれこれフォームを研究したり、
物理的に、なぜ球は飛ぶのかを考えたり、
コースによって腕の使い方とか、どうしてんだろ?
とか、細かい部分に目が行くようになっていきました。



そういう目線を手に入れると、
「時間勿体ないから全体練習時間でも工夫を取り入れてみよう」
と思って、日々の全体練習時間でも練習テーマを設けることになります。


なぜあいつの球筋は伸びるんだろう?
とか疑問に思ったら
体の使い方とか、どこの箇所をどう使ってるんだろう?とか常に考えたり、

キャッチボール一つにしても、内野投げを止めて、外野投げに特化して、少しでも遠投の時間を増やしたり、山なりではなく、直線的にしか投げないと決めたり。


全ての練習時間を、
「学び」「やってみる」「改善」に注ぎ込んでいきました。







テーマを設けていくと、
自分のできることと、できないことを知るようになります。

「具体的に何が劣っているのか」
「それは、自分が悪すぎるのか、他人がうますぎるのか」とかとか。


当時の私は、こんな感じです。


走=中の中ぐらい
攻=下の中ぐらい
守=中の上ぐらい

全部に自信はなかったのですが、
使えないにしても監督が守備固めで起用してくれた事から、まずは守備の人であると認識しました。


良い点悪い点を具体的にしていき、
自分の特徴を把握し始めました。
練習テーマを決めるのに必要な事です。
これを無理矢理にでも捻り出して行きます。



打つ方で言うと、
悪い点は、
ボールが飛ばない事。
もうボテボテゴロかインフィールドフライ的な内野フライが傾向として多かったです。
球に押される感じですね。

良い点は、
三振は少ない事。
バットに当たらない事は、あまりなかった。
あとは右打ちは狙ってできること。
よく言えば、バットコントロールはあったと言うことです。
よく考えてみれば、トスバッティングは、ミスなくできてました。




守る方の特徴は、
悪い点は、
肩が弱い事。

特別弱いと感じてはいませんでしたが、他の外野と比較すると、下から数えた方が早かった。



良い点は、
打球の落下地点に入るのが早いこと。
元々先輩が「目切り」と言う技を使っていて、なんとなく憧れて練習してました。
目切りとは、打球を見ずに走ることです。
打球を見ながら走っているより、早く走れるんですよね。



そこから自分なりにテーマを設けていきます。


打つ方の練習は、とにかく強い打球を打てるか、もしくは、外野に飛ばせるか、と言うテーマにしました。
もう打球が強ければライナーで取られてもオッケー。逆にポテンヒットはダメ。
球に押されるようであれば、いかに前でミートするかと、筋力を上げるかと、腰の回転でカバーすることにしました。


守る方は、
落下地点の早さと言う武器を活かして、肩の弱さをカバーするために、バックホーム体制の時は人よりも前進守備することにしました。

その分後方の打球は目切りでカバーする作戦です。

その為に、打球が来た瞬間、体が動き出す瞬間には瞬発的に落下地点を予測する練習を取り入れました。



理屈は整えても、思う通りに体が動かせるかは別物なので、練習で染み付ける事で、改善していきました。

この頃には、気付きも沢山あり、楽しくなってきた感ありましたね。

同じ環境でも
視野の持ち方でこんなにも世界は変わるのか
って驚きました。


それでも一軍の壁は厚く、まだ届きません。






そうこうしてる間に、
2年生の冬が過ぎようとしていました。



ただ、思ってもなかった変化が起こります。



まず、私は毎日夜9時とか10時まで自主練習してたのですが、後輩も自主練習し始めました。

なんでこんな遅くまで練習してんの?って聞いたら、私に刺激を受けたとの事。
ちくしょう、みんなが練習してない間に上手くなろうと思ってたのに!とジェラシー妬いてしまいましたが、変わった奴だな、位しか思ってなかったです。



ただ、それをきっかけに後輩の自主練生が増えていきます。


ついには2軍の同級生全員が、自主練を始めました。
同級生全員が自主練始めた時に、
ようやく自覚したのが、
明らかに自分が突き動かしたなって気付いた。
そのときに、
何だ。補欠で最下級な俺でもチームに貢献できない訳ないじゃん!
って思えた。
ずっと無力感を感じていたのでそれは嬉しかった。
使命感すら感じてしまった。



変わるのは、チームだけでなく、周りの先生からの評判も上がってきた。

「あいつは毎日毎日欠かさず練習を行って大したものだ」
みたく見られ始めました。
特に体育教師は、そういう根性論が好きみたいですね。
割と反抗的で言うこと聞かない、何なら授業サボってたわたしがそこまでしてるのが、珍しかったようです。
すごい色々な先生に今日も頑張ってるねって声をかけられました。
気安く話しかけんなよ、とか思ってましたけどね。





あと、
レフトのレギュラーが怪我をしてしまいました。
これでレフトに大きな穴ができました。

まあそれでも私は1軍に上がれません。
1軍の試合はエースピッチャーが外野に行き、二番手ピッチャーを試し始めました。

マジひどいよ、監督!!









私が3年の春、一軍固定化が雰囲気的にも分かるようになりました。

この頃になると、分かりやすい選別が行われてきます。
1軍ではない私はダブルヘッダーでないと試合出れていませんので、ダブルヘッダー試合を逆算すると、試合出れてあと5試合だな、とか分かるようになります。



もういい加減、後が無くなってきた私は、次の打ち手に出ました。



やったことは、完全な開き直りです。

カッコよく言うと、選択と集中を始めました。




集中1
私は外野ならどこでも、できます、みたいにしてたのですが、レフト1本に絞りました。
自分の強みである守備範囲を考えるとセンターが一番活きるのですが、
センターとライトはクリーンナップを打つ一軍だったので、勝ち目は1mmも無いと判断し、怪我人の出たレフトに集中しました。
また、レフトなら強肩でなくとも太刀打ちできるから、弱点が目立たず、一番経験してきたポジションでもあり優位でした。


集中2
狙い球を絞りこみまくって強振しかしない

まず最初は変化球は全部捨てました。
って言うか、下位チームには、まともに変化球をストライクゾーンに投げる対戦相手はいませんので、変化球狙いができません。
たまにカーブがある位です。

練習では打てるようになってきても、どうにも試合だと飛ばないんで、
ムカついてきて、インコースアウトコース、高め、低めなども絞りこみました。

球種もコースもヤマを張って、その分、強振するようにしました。
だって、飛ばないんだもん。


ヤマは当てずっぽうではなく、
試合に出れない間、ベンチからピッチャーキャッチャーのクセをずっと観察してたので、その経験を活かしました。

ヤマを張るのは、巨人の元木をパクっただけではあります。



集中3
監督の好みに合わせる

どうやら監督には好きなプレースタイルと嫌いなプレースタイルがあるようでした。

それは、積極的なプレーや強気なのが好きで、
見逃し三振や弱気な姿勢が嫌いな事でした。


私は追い込まれていたので、結果を出した過ぎて
マジフォアボール出さないで欲しすぎて割と打ちに行ってたのと、強振する姿勢が、良かったようで、
「気に入られ始めてるよ」って一軍の同級生から教えて貰いました。
こりゃいいやと言うことで、
「強気なフリ」を徹底的にしました。

凡退しても、次は打ってやるゴゴゴみたいな雰囲気出したり、無駄にヘッドスライディングしたり、強気な発言や表情しまくるなど、
とにかくダメな結果でも監督の期待値だけは崩さないようにしていきました。







まあここまでやっても、一軍には上がっていません!!
ひどいよ、監督!!








3年の5月、
ダブルヘッダーの試合はもうないと言うことで出場できる最後の試合がやってきました。


もう記念になるように、思い残すことはない!無茶苦茶やってやる!ヒャッハー
と意気込んでたら、ヒットが出るようになりました。
多分試合で初めての長打も打てました。


あれは激烈嬉しかったなー。
ってか、もう記念だったので、三振になってもどうでもいいよ、やってやんよ、最後にデカイの打ちたいぜー位の開き直りしてたら、たまたま打てました。


もうヒットが出ても、遅いよ、もう終わったよ、
最後に打てて良かった、もう思い残すことはない。
俺の挑戦は終わった。
って思って、
試合会場から、皆バスで学校まで帰るのに、自分だけ走って帰るとか言って、一人になりたくて、今までを思い返しながら、嬉しくて寂しくて泣きながら帰ったのを覚えてる。
むしろ自分の夏はあそこで終わった。







そこからなんと、一軍練習に入ることになった!!

終わってなかった!!



憧れの15球のフリーバッティング、最高だった。
ニヤニヤ。
あれも嬉しかったなー。
あまりに打撃練習できなかったから、お小遣いは全部バッティングセンターに費やしてた位だったから、無料で投げてくれるのなんて、凄すぎ!最高!みたいな気分でした。


一軍の練習に出れるようになったのは、夏の大会まで残り2試合位の事でした。
そこから一軍の試合に1回出て、その時また長打が出ました。まあ、あれは相手の外野手が下手だったので助けられた感はありましたが、ラッキーも重なりました。









そして始まる、夏の大会。


背番号とレギュラー発表。


私は最後の方、一軍の試合に出てましたが、肝心な事があります。

元々レフトのレギュラーだった子がケガから復帰してきたんです。

だから、ベンチには入れる自信はあったけど、さすがに、レギュラーになれるとは思っていませんでした。

だって俺、ケガ人出てたから、たまたま出れてるだけだし、俺から見ても、彼の方が良いなあ、とか思ってました。だって実力ないし!


そしたら、










レフト!くんさん!





ん?


え?

うそ?

マジ?







ウオーーーーーーーー!!
キターーーーーーーー!!



逆転ホームラン出たーーーー!!!!


ついについに、
私は最後の最後の3年夏の大会でレギュラーになったんです!!!



打順は9番で、完全滑り込みセーフ!




そうして私は、山本リンダの「ねらいうち」のブラスバンドの応援を背にして、
最後の夏の大会に挑むのでした。

打てよー打てよーホームラン♪

あれずっと憧れてたんだよねー。








はい、これがクライマックスでございます。

回想終わり。












ここから得た、
弱者の戦略をまとめます。

1.強みと弱みを見つける
2.強みを活かし、弱みが減る勝負をしかける
3.強者とやり合わない、勝てるところで戦う
4.外部要因を味方につける
5.ワンチャンスに全リソース突っ込む
6.大振りしてインパクト出す
7.実力なくとも雰囲気は出す

弱者でも勝ち目無い訳ではありません!
やってやれないことは無いんです!
単に選択肢少ないだけなんで!






教訓をまとめます。
1.自分次第で世界は変わる。
2.なんとかなる、と言うより、なんとかする。
3.いつか、なんてのは来ない。今やるかやらないか。
4.人事を尽くしさえすれば天命は割と来る。
5.男子校には行くな。

小さくても良いから、動く事!
何かしら起こるからさ。




このときの経験は、私の人生にとって、大きな体験だったな。

大人になってからも、
辛いこと、厳しい事はあって折れそうな事もありました。
ただ、
あの時の挑戦と努力から考えれば、まだマシな方だな
って気持ちの支えになってきました。

あれから20年経つけど、
今思い返しても鳥肌モンの経験。
立ち向かってくれてありがとう!20年前の自分!






何でそんなに頑張れたのかな?って
書きながら記憶を呼び戻してみたんですが、
何でかは、分かりません。
ただ、とにかく行き場が無くて、野球ぐらいしか無かった、と言う記憶。

学校にも行きたくなくて、
親も先生も家族も全部がウザくて、
友達もいないし、田舎だし、ストニューに載ってるイケてる高校生眩しいし、何なら放課後マック行ってプリクラ撮ってる奴ですら眩しいし、男子校なので異性はオカン位しか見ないし、
背も低いし、坊主だし、ニキビだし、ロッドマンTシャツ似合わないし、間違ってエアマックス96買うし。

とにかく全部にイラついてて、
妙なエネルギーだけが、有り余ってた。

エネルギーの放出先が欲しかっただけで、
唯一あったのが部活で、打ち込めれば何でも良かった。
それで、
何かにおいて自分を証明してみたかった。
けど、無力さも同時に感じるから、
大した事もできなくてイラついて、
なんか説明ができない感じ。

イライラの当たり先みたいな。


高校生ってそういう年頃だったんだよね。
懐かしい。

























え?
そう言えば、
大会レギュラーで出場してどうだったか?
だって?


そんなの活躍してないよ!聞くなよ!クライマックスで終わらせてよ!
開き直ってたから調子良かったのにさ、本大会勝たないとダメじゃん。開き直れなくなっちゃったよ!
むしろ緊張しまくったよ!足ガクガクだったよ!
んでもって、
3回戦から元レギュラーが本復帰してレギュラー取って最終的にベスト16でフィニッシュ!

ついでに言うと燃え尽き症候群で大学はどこも受からずに浪人したよ!
しかも大学中退してニートになったよ!!



と言う華麗なオチで、締めたいと思います。