くんさんのアウトプット帳

経験してきた事とか書いてみる

僕が今の会社に入社した理由を書いてみる

採用情報とか見てると、ストーリー性の高いアツイ情報とか見る。
ウチの会社でも書けるようにしたいなあと、思ってしまったが最後、
まず自分の入社ストーリーでまずは書いてみようと思った。
自分がやらないと説得力出せないからね!

思っただけで行動に落とさないのは、クソダサいからOutputまでしてみたい。






大学はプログラム系が学べる情報工学部に入った。
特にやりたい事もなかったけど、ゲームが好きだから何となく。

C++を書いてたけど、for文の時点で怪しくなり、配列とポインタで、もう付いていけない!

何のために学ぶのか?が分からないから、大学は結構つまらなかった。なんで皆、やれるんだろう?と不思議だった。


そんなモチベーションで学費を親に払わせるのは罪悪感があったので、
年間160万をバイトで貯めようと思い立ち、ずっと飲み屋で働いていた。毎日終電帰り。

授業中には寝て、夜働き、単位を落とす毎日。

「自分」の意志もなく、惰性で流される日々は辛かった。友達も大していなく、独りになるのが怖いから無理やりグループに属してた感じだ。



そんな中、親から相談された。

早期退職制度を受け入れたい。
大学行きたいなら、働くのを頑張るけど、
あまりやる気無いなら大学辞めてくれないか?と。


大学についていけず留年も見えていたので、
現状の惰性は許されず、意思決定を求められた。


正直に言おう。
俺はホッとした。

もうこの環境から逃げたかったけど、
意思決定する勇気もなかったから、
俺には蜘蛛の糸だった。


「わかった、辞める」
と即答したと思う。

親には止められたし、目の前で泣かれた。

おいおい、あんたが言い出したんだろ、と思ったが、親の真意としては、奮起させたかったみたい。


私の人生における重大な選択の意思決定は、
「逃げ」から始まった。



親がきっかけだったとは
友達にも誰にも言わなかった。
親に泣かれたのにも関わらず、
自分で選んだんだから。

ただ、友達みんなに、聞かれた。
「辞めて何すんの?」
ってね。

何もないけど、強がって
「俺独立して店持ちたくてね」
とだけ言った。

そんな強がり言って格好つけた。



大学を辞めてわかったことがある。

学生と言う身分が無くなると、
自分が何者でもない、と言うのがすごく分かる。

今何やってんの?
と言う気軽な久しぶり挨拶の常套句に
答えられない自分がいた。

それが何より辛かった。

働いてないだけで、
人格を否定されるような言葉に
何回も出会った。
当たり前なんだけどね。

「いつかやる」
そんな思いでいたけど、
行動に落とさないと、
平然と
昨日と同じような
無味無臭の明日がやってくる。

そんな明日が怖かったし、
未来を想像するのが怖くて、
中々足が動かなかった。










月日は経ち、

アルバイトでも探すか、と思い求人を探すと、
簡単なC言語プログラムで時給2000円
と言う美味しそうなアルバイト求人を見つけた。

割が良いから、と言う理由で応募してみる。



そこのアルバイトの面接官として、
出て来たのが
連続若手起業家の敏腕社長だった。


面接シーン

企業家;
実は君の経歴なんてどうでもいい!
君の考えを知りたい!
君は何したいの?ホントにプログラムやりたいの?
ホントにやりたいんじゃなかったらオススメしないよ?

俺;
店やりたいと思ってて。。

企業家;
じゃープログラムなんてやるな!お前の夢に繋がる仕事をしろ!
何なら君のやりたい店のビジネスプランが良いなら、1000万ぐらいなら投資するよ!

俺;
えっ!


俺は激烈にビビった。
そんな展開あるーー?ってね。




とりあえずこの起業家はヤバい人や。
マネーの虎じゃんこれ!



俺は興奮した!
一世一代の逆転チャンス急に来た!

どうせ失うもんは何もねぇ!やるっきゃねえ!
うおおおおーーー!



となり、
その起業家の言うとおり、
プログラマーになるのは辞めます!と伝え、
紅茶屋で働きながら、
カフェを作る為に、プランを考えることにした。




今思えば、そんな筈ないだろ、とは思う。
けど、
確かに、夢があったんだ。


大学を辞めて、無力感に苛まれ、自分に自信の一欠片もない頃に、

夢を見させてもらえて、人生に火が点いたんだ。

大学を辞めた時の強がりが、
本当になるかもしれない。
そんな感動的なストーリーが作れたら、
超カッコいいじゃん!


しかもこの若手起業家は嘘をついてないと思った。
その言葉に足るだけの思想や哲学や実績を垣間見える。
特に哲学めいた「その人の軸となったストーリー」に憧れたし、痺れた。








同時に分かったことがある。

目の前に1000万ぶら下げられても尚、
具現化できるほどのプランが出せなかった。

要は、俺は口だけ野郎で、何も考えてなかったと言う事だ。
激烈クソダサイ。



若手企業家から、
「経営の勉強会やってるから来なよ」
って誘われて、
週に一回、経営や起業家やベンチャーについて、
学びに行った。

「やった!今俺は猛烈にビジネスを勉強したい!」
たしか1年位通ったかもしれない。


そこには、
向上心を持った社会人達が集う、
なんか熱感のある
ビジネスについて勉強し考え合う会だった。


若手起業家が出した設問に答えて行くスタイルとグループディスカッション。
毎回宿題が出され、
宿題やってこないと
「お前は、本気でやってるのか?」
「本気じゃないなら出てってくれ」
みたいな感じの事をいわれた。

能力が低いのは許すが、
やる気のない奴は一緒にいたくない
とかね。

大体、
リーダーシップ、マネジメント、セールス、マーケティングファイナンス周りだったと思うが、若い俺には刺激的だったあーー。


そんな事をしてるウチに、
「自分は何もできない」
と言う思い込みは無くなって行った。

学びとか、
仲間とか、
そういう感じが、楽しかった。



俺は連続企業家の所に行って、
勉強会言ってるんだぜ!
そんな話を友達にもしてた。


それだけで「お前らとは違う」「何かスゲー」
みたいな
優越感に浸れた。

それまで大学を逃げ出しただけなのにね。

今思うとその勉強会だってオママゴトかもしれない。
ただ、それで良かったんだ。
何者かになれるかもしれない!
そんな気になれるだけでよかった。

それだけが蜘蛛の糸だった。











そうこうして23歳位の時に、

その若手起業家から「新しい事業を考えてるから、一緒にはたらかないか?」
と誘われた。




そう、それが入社理由。


若手起業家というのは、
今の会社の社長です。



海外から紅茶やコーヒーを仕入れて
新たなビジネスをやる
そんな話だった。



「なにそれヤバい」
と思ったが、
「入社します」って、
即答はできなかった。


きっとこのイケてる企業家の元で働いたら、
スゴい事になる。
ただ、メチャメチャ厳しそうな環境だから、
マジ怖い。
相手が本気だからこそ、
こっちも本気であるべきだ。


暫く入入社の回答は保留にして
紅茶屋の環境で
精一杯働いたけど、
そこに夢はなかった。

いつも、
「これはやるな」
「あれはやるな」
みたいにブレーキを踏まれる事ばかりで日常的なオペレーションを是とする日常に
「:もういいかな」って思えて
今の会社に入社を決めた。



選択するのは確かに怖かった。


怖かったけど、
大学を辞めて何者でもなくなり、
自信も失っていたあの頃の方が怖かった。

今回の選択は「逃げ」じゃない。
自分なりの「攻め」だ。



もう人生の逆転をかけられるとしたら、
ここしかない。
もう無職には戻れない。
俺にチャンスをくれ、俺にチャンスをくれ。
働かせてくれ。
自分が納得できるまで働かせてくれ。

そんな思いで入社した。










で、
入社したら最高だった。全然怖くはなかった。

ブレーキを踏まれる所か、もっとやれって言われる。
これほどまでに、働きまくれるなんて夢のようだ。

働くって
スキルも身に付いて、
勉強もできて、
お金貰えるし、
夢もある。サイコー!!


そんな私は
そんなに求められてないのに、
メチャクチャハードワークをした。
だって、努力すれば良いんでしょ。楽じゃん。
メンタルとしてはイージーだった。


今までは努力する目的が無くて、
エネルギーの行き場が無かったからね!
全然辛くなかった。

辛くなかったけど、
毎日、拳銃をこめかみに突きつけられる緊張感というか危機感はあった。
危機感ありすぎて、クビ切られるんじゃないかドキドキしてた。
だってそうでしょ。
数字が出るまで自分の給与は丸々コストで赤字だから、クビ切られても文句は言えないよね。
プロフェッショナルの世界ってそういう世界じゃんね。



そんな感じでハイになってた私は
メチャクチャイキッてて、オラついてた。

おじさん社員全員抜いたる!
とか、
1年で10万昇給してやる!
とか、
上司の仕事全部奪ってやる!よこせ!
とかね。

※まあ結果的には、8割位は達成したけども。

入社して2年経つ頃には
年間1億円位の売上は作れるようになって、
ようやく認められるようになった。
まあ上には上が沢山いるんだけども。


仲間もみんなイキッててさ、
俺らで会社を変えようぜ!とか、
どんな会社にしようか!とか、
よく徹夜で朝まで話してた。

別にたいした事やってないのにね、
不思議と
デキるんじゃないか
って気になってたよね。


ベンチャーで良いところは、
企業文化作りができることであり、
できる、とか、できない、とか、関係なく、
「やるしかない」
「自分が動かなきゃ会社終わる」
ってリアリティーがある所よね。

だから「やろう」って思えてしまう。

こんなちっぽけな人間でも、
やれることがあるしさ、
貢献する事ができるしさ、
チャンスがゴロゴロその辺に転がってるものだし、
上限なんて無いしね。






そういや。
入社初日に取締役の人から
「入社したらどんな仕事がしたい?」
って聞かれた時に、
こう答えた。


「社長の下で働ける何だっていい。
時が経つのを忘れて仕事に没頭したい」


あれから14年位経つけど、

今でも時を忘れて没頭する毎日を送れてる。


できなかった事ができるようになる。
知らなかった事を知れる。
強がりで言った事だって実現もできる。

そんな楽しい事ないでしょ。



会社はそれなりにちゃんとした会社になってきた。
それっぽい感じになってきた。
プライベートカンパニーから、
公の会社になろうとしていて、
ルールも増えて、色々面倒にもなった。

便利になってパソコンも椅子も机も買って貰えて当然でさー、
売るものあるし、Officeあるし、
経費出るし、残業減ったし、スーツじゃなくて良いし、有給あるし、育休あるし、取引先もビッグネームだし、
会社かよ!
って思っちゃう笑




けどねー、
けどねー、
こんなモンじゃないんだよなー。


俺が入社を決めた時の
なんか訳の分からん高揚感は、
もっと凄かった、夢があった。



だから、「もっと頑張れよ」って
上役にだって、軽口を叩く。

だってそうでしょ。

夢語っておいて、夢見させておいて、こんなモンじゃないんでしょって思うから。

まあ半分は自分のところに返ってきて
「あーちくしょう、俺の力が足りないせいか、何かゴメン」
と思えて来てしまうんだけどさ。

だから仕事は楽しいし、飽きないんだよな。
あーちくしょう、
今日もできない事ばかりだ。
だから明日はメチャクチャできるようになってやるよ。



入社してから、
そんな毎日を過ごしています。
今日も元気にやっております。




※あ、会社はBtoBで自社サービスと受託開発をやってる会社です。
入社した時は、何してる会社かよく知らないままで、人で選びました。

仕事脳で考えた恋愛弱者の婚活戦略体験1

同僚からこれを書けと言われたので書き出してみます。

私自身が元エンジニアで今はIT業界で営業やマーケティングをしています。職業柄、結構ロジカルに考えてしまいがちな所がありまして、
プライベートで恋愛下手、、と言うか恋愛怖いと考える派でした。

仕事になると自分の感情を若干無視してアウトプット出す方に集中できるので、
「婚活を仕事として割りきってアウトプット出す」
と言うマインドセットに切り替えて活動してみた、と言う体験記です。
結論を言うと、これで結婚できましたので、
誰かのヒントになったら幸いです。





婚活をしようと思ったきっかけ:

通勤が面倒で会社の徒歩圏内に引っ越し、コンビニ感覚で出社するようになり、毎日仕事と家の往復で、休みの日は暇だから仕事しちゃう、みたいな毎日を送ってた32歳。
ある日、髪が薄くなってきた事に気付く。
このまま行くとハゲちゃうのではないか?
と言う不安に駆られてきました。
よくよく鏡を見てみると、確かに劣化を感じる。

これがおじさん化の始まりか。。
このままハゲたら誰からも見向きされなくなる!
生涯独身確率高い!とりあえずこのままだとなんかヤバい!

と思い立ちました。




要件定義:
結婚とは何だろう?

結婚するとは、どういうことか。
それは結婚してないと深くは知り得ない為、
一旦仮説を置いていきます。
仮説「自分と相手の生涯をかけた、男女間の長期契約」
みたいなもんかなと。

これを咀嚼していきますと、
「一生愛し続ける誓いを立てる事」になるのではないかと。

自分で考えといて、
「え、何それ、そんなの無理じゃね?」と突っ込んでしまいましたが、それ言い出すと意味無いので、
無理じゃない前提条件をつける事にしました。


それは、
「自分の人生史上、最高に良い女性を探し、相手も最高と思ってもらえる間柄を構築する事」であると考えました。


最高に良い、とは一体何か?

それはよくわからなかったので、ざっくりイメージで想定。
いわゆる「高嶺の花」と言いますか、
絶対つき合えないよなーこんな可愛くて良い子は、、こんな子と付き合えたらなー、けど付き合える訳ないか、と思ってしまうような「自分には手が届かない」位の相手と、もし結婚できたなら、

絶対浮気しないし、
付き合えた後も付き合ってくれてありがとうって思えるし、
結婚した後も結婚してくれてありがとうって思えるし、
何より喜ばせたくなる。
そして別れたら一生立ち直れない。

だろうと考えました。

そして、その感情がお互いにイーブンであること。
男性か女性かどちらかが優位に立ち過ぎると、
バランス悪くなり運用phが怪しくなるからできるだけそのリスクは排除しておきたい。
なので、相手にもそう思ってもらえることも重要。

と言う前提条件。



「おいおい、そんな子が、俺の事を好きになるなんてある訳ないじゃないか。」

と自分突っ込みしますが、
「仕事脳」に置き換えると、あら不思議。

「チャレンジもしてないのに、最初からできないなんて言うな、ダセーから!俺はやる!外野は黙ってみてろボケが!」
と言う発想に置き換わります。


実績が無いなら、未来を語る!
失敗するリスクよりも挑戦しないリスクの方が大きい。
これがベンチャーで培ったマインドなんです!

やるぞやるぞー、うおおお!



無理めな要件の場合は、
ブレーキを踏みたくなるのをグッとこらえ、
できる方法論を無理にでも捻り出してみましょう。


まとめます。

婚活要件:
無理めな女性と付き合う(一生コミットできると思えるような!)







無理め、と言うのは一体どういう事か?
を考えていきます。


プライシングの世界において、
価格と言うのは
市場の需給バランスによって決まる事が多いです。

なので、市場価値=需給バランス=異性からの人気度
と仮置きし、
男としての市場価値が10段階中5だったとしたら
女性としての市場価値が10段階中7以上ならめっちゃ良い
みたいな感じの計算してみました。

市場価値低いのに、理想ばかりうたって
「出会いがない」と言うのは、
プライシング失敗ですものね。


人気度をざっくり試算しますと、
異性から人気の出やすいあるあるスペックで言うと、
男は経済力でしょうね。
だってIT社長は芸能人と付き合えるし、バチェラーにも選ばれちゃいますからね。

勿論、顔、性格、身長体重など体型などもポイントでしょうが、そこは人によって変わる不確かなものなので、今は一旦外します。

その時点で高年収ではない自分は萎えそうなのですが、安心してください。

日本人の平均年収が400万位なので、
400万あれば市場価値で言うと平均点は取れます。
20代なら300-350でも十分平均取れてます。
それより高年収な人は、婚活市場においてポテンシャルがありますので自信持って良いです。
※この辺正確な数字が知りたい人はググってみてください。

ざっくり自分の市場価値を6と仮置きします。

この時点で
「平均より上」である事を胸に刻み付けます。
これは、勇気になります。
自己評価は3位でした。





では無理めな市場価値8クラスだとしたら、
どれくらいのスペックの女性なのでしょうか?

(たぶん)合コンに来たら、男全員から狙われる位の可愛い子
でしょう。

この可愛いには顔、美容や化粧、髪形、仕草表情など色んなファクターはあると思いますが、私は女性ではないので、男性目線の人気度から計算しました。

学生に例えたら同じクラスでトップ級の人気。
修学旅行の夜の時間、男たちが好きな女の子言い合う時に誰かと被っちゃうような可愛い子でしょう。
(まさに高嶺の花・・)


そのように要件の解像度を上げていきました。


次に
自分にとって可愛い子
と言うのは、一体どういう人なのか?
を定義していきます。

まあ、世の中の女性の半分以上、可愛いな、と思ってはいたのですが、、

ざっくり、今までの自分の過去恋愛してきた、片思いしてた相手の共通項を探しました。

・キレイ系より可愛い系
・よく笑う、人懐っこい
・太ってない
・何となく自分に気があるんじゃないかと思わせるスキル
これぐらいしか分かりませんでした。
じゃこの条件満たしてる人なら誰でも良いか?と言われたら多分違うので、恐らくもっとセグメンテーションできる事は、何となくわかりました。
※この辺は婚活アジャイルを回しながら、後々明確になってきます。




自分が10段階で6ならば、5打席立てば3安打は出るかもしれない!
って仮置きしたら、中々の高打率なので、
嘘だろ?と思いながらも仮説検証の為に
合コンに繰り出してみるのでした。



つづく。


次回は、
市場価値8の強者と戦う為の弱者の戦略
について、
SWOT、STP、顧客リサーチして、プロトタイプ実装して検証とフィードバックと言うフェーズを書いてみます。

お楽しみに。

高校野球で、戦力外通告を受けた僕がレギュラーになるまでにとった弱者の戦略

自分しか書けないアウトプットを探してたら、面白そうな体験してるので、そん時の話を書いてみます。
今思うとビジネス戦略に通じる所が多いので戦略と名付けてみました。





私は松坂世代と言われる世代の高校球児でした。

中学から野球やってましたが、特別プロ野球選手になろうとも思ってもなく、高校入学したら、なんとなーく仮入部しちゃって、なんとなーく本入部してました。
その頃の私は、意志なんてなくて、流されるがままに生きてた感じがします。
親の言った通り行きたくもない男子校に行き、なんとなく学校に馴染めず、なんとなく野球ぐらいしか、することなかった感じです。


中学までは、なんとなーく、運動神経あれば、それなりにやれた無名校で、大会も初戦敗退しか知らない所にいました。その中学では2番レフトをやってました。





硬式の高校野球は、割とガチ勢が多く、生まれながらのマッチョネスや、強い中学出身の奴がゴロゴロいました。プロ野球のスカウトも来てたしね。
そんな中、私は165cmで細身の体つき。マジきつい。
部員数は50超えてたかなーぐらい。


ざっくり言いますと、打順1番~8番はホームラン打てちゃう強キャラぶりです。
きっと自分も練習して成長したら、そんくらいのことできるのかと錯覚してました。

そう!ベンチャー企業行ったら成長できるよ的な錯覚ね!
いつかそのうち、
いつかそのうち、
と思ってましたよ。。






回想スタート。


あれは、
私が1年生の夏の事。

入部して2ヶ月たったある日、
私は監督からこう告げられました。

「お前、飯当番ね」


へえ、高校ってそういうのもやるのか~と思ってたら、
正確には、
「練習ではなく、飯の用意をする」
事でした。

キャッチボール、トスバッティングで練習を終わらせ、他の人がフリーバッティング、シートバッティング、ノックをやっている時間は、ご飯の用意をする事です。


なんと、
男子校だとマネージャーがいないから、全部員の中から実力下位2名が選抜され、練習もできないマネージャーの仕事をする的なポジションがあったのです!!

先輩が言うには、
「事実上、今年の戦力外」
だそうです。

悔しかったか?で言うと、そうでもなく、冷静に見たら、確かにそうだな、と思い、それを受け入れてました。

「まあ、1年生だから、こんなもんか。高校って厳しいんだなあ」
そんな感じです。

だって上手くないしね!




私が1年の秋になると、
3年生が抜けて、2年生主体のチームになり、自分と同級生も1軍の試合で出るようになりました。

その頃も私は最下位争いを演じて、3軍です。
3軍は、バッティング練習はさせてもらえません。
1軍が15球、2軍は5球、フリー打撃ができる練習でした。

「まあ、1年だから仕方ないか」
と思ってました。

ダブルヘッダーがある練習試合の時だけ、
全員試合出れるんですが、私は8回からの守備変更でだけ、試合に出れました。もちろん打席は回ってきません。

「まあ、そんなもんか。3軍だし。まだ1年だし」




私が2年生の春。
3年の先輩の中でも、うまくない先輩は2軍に落ちてきました。

1軍練習してた先輩が練習量を減らされて、2軍練習をしてる光景は、恐怖を覚えました。
本人も、もうやる気無いらしく、適当に流してました。

「自分はこんな風になりたくないな」
「ぶっちゃけダセーな」
と思うのと同時に
「やる気無いなら、俺と代わってくれよ」
とも強く思いました。

自分も
一番上の学年になればなあ、きっと上がれるんだろうなあ。

ずっとそんな思いでいました。




私が2年の秋、
3年の先輩が引退し、自分の学年の代、主体のチームになりました。
よし、これで俺も1軍争いじゃー!
と思ったのも束の間、事件が起こります。



なんと、
私のポジションには、1年生の中で上手い奴が、
一軍になってて、私は2軍のままなんです!



まあ高校野球なら、当たり前の光景ですよね。
下手な奴には、
練習の機会なんて与えられないし、
上手い奴は最初から上手いんですもの。




なんじゃこりゃ。







それで嫌でも気付かされる。
現実を受け入れざるを得なくなる。






自分の能力の無さと、
いつかチャンスが訪れると期待していたこと、
そして、学年が下だからしょうがないって、
ずっと言い訳にしていたこと。
特別な意志も無かったことに!!!!





それを受け入れた途端、泣けてきた。
不甲斐なさが許せなかった。

そうです。
いつかそのうち、って
後回しにしてただけです。





辞めようと思ったが、
同時に思うことがあった。

「自分は、胸を張って、辞めれる程、やりきったのか?」
って自問自答。





やりきったのか?
辞めんのか?
逃げんのか?
誇れるんか?




言い訳ばかりしてきたのによ!!!!





そう思ったら腹が立ってしょうがなくて、
過去の自分に復讐したくて、決めたことがある。
自分革命をすることにした。



・残り一年でレギュラー取るために、一切、妥協しない
・過去の自分の当たり前を全部壊して挑みまくる
・俺は激烈やりまくったと誰にでも胸を張れる位やる。
※それができたら部活辞めてもOK

みたいな感じだ。





で、
決意したは良いものの、
何をしたら良いか分からない。
何せ、意志を持ったことがなかったから!

けどすぐに分かることは、あった。
全体練習を皆でやってるんだから、差が縮まらないのは当然。
だから、皆が練習してない時間に練習しないと駄目なんだ。
それだけは確実に分かった。


だから、
とりあえず一人で簡単にできる練習である、
「素振り」
を始めた。

それが良い練習かは、分からないけど、あれこれ考えて結局やらないのが怖かった。

だから、毎日欠かさずやった。


確か、最初は100スイングから。
それが継続できたら、徐々に数を増やす方式。
最後の方は
腰を痛めたので右振り200左振り200くらいはやってたな。


居残り練習はモチロン、休みの日も、試合があった日も、遠征でも、正月でも、修学旅行の自由時間までも、毎日毎日欠かさなかった。

もう、素振り狂ですね。
毎日欠かさなかった理由は、1日でも休まなかったら、やりきったって言えるから。

そのうち、素振るのが習慣になっちゃっただけなんですけど。






それやってても、全然うまくならなかったし、
打てるわけでもなかった。
まあ、当然ですね。



ただ収穫はあった。

何も考えず、素振りしまくってると、結構、頭はヒマなんです。

だから、ヒマ潰しじゃないけど、目的意識を持つようになり、

よしインコースだ、アウトコースだ、カーブだ、と妄想した球筋で素振りしていくようになりました。

けど、全然打球は鋭くならない。

そこで、あれこれフォームを研究したり、
物理的に、なぜ球は飛ぶのかを考えたり、
コースによって腕の使い方とか、どうしてんだろ?
とか、細かい部分に目が行くようになっていきました。



そういう目線を手に入れると、
「時間勿体ないから全体練習時間でも工夫を取り入れてみよう」
と思って、日々の全体練習時間でも練習テーマを設けることになります。


なぜあいつの球筋は伸びるんだろう?
とか疑問に思ったら
体の使い方とか、どこの箇所をどう使ってるんだろう?とか常に考えたり、

キャッチボール一つにしても、内野投げを止めて、外野投げに特化して、少しでも遠投の時間を増やしたり、山なりではなく、直線的にしか投げないと決めたり。


全ての練習時間を、
「学び」「やってみる」「改善」に注ぎ込んでいきました。







テーマを設けていくと、
自分のできることと、できないことを知るようになります。

「具体的に何が劣っているのか」
「それは、自分が悪すぎるのか、他人がうますぎるのか」とかとか。


当時の私は、こんな感じです。


走=中の中ぐらい
攻=下の中ぐらい
守=中の上ぐらい

全部に自信はなかったのですが、
使えないにしても監督が守備固めで起用してくれた事から、まずは守備の人であると認識しました。


良い点悪い点を具体的にしていき、
自分の特徴を把握し始めました。
練習テーマを決めるのに必要な事です。
これを無理矢理にでも捻り出して行きます。



打つ方で言うと、
悪い点は、
ボールが飛ばない事。
もうボテボテゴロかインフィールドフライ的な内野フライが傾向として多かったです。
球に押される感じですね。

良い点は、
三振は少ない事。
バットに当たらない事は、あまりなかった。
あとは右打ちは狙ってできること。
よく言えば、バットコントロールはあったと言うことです。
よく考えてみれば、トスバッティングは、ミスなくできてました。




守る方の特徴は、
悪い点は、
肩が弱い事。

特別弱いと感じてはいませんでしたが、他の外野と比較すると、下から数えた方が早かった。



良い点は、
打球の落下地点に入るのが早いこと。
元々先輩が「目切り」と言う技を使っていて、なんとなく憧れて練習してました。
目切りとは、打球を見ずに走ることです。
打球を見ながら走っているより、早く走れるんですよね。



そこから自分なりにテーマを設けていきます。


打つ方の練習は、とにかく強い打球を打てるか、もしくは、外野に飛ばせるか、と言うテーマにしました。
もう打球が強ければライナーで取られてもオッケー。逆にポテンヒットはダメ。
球に押されるようであれば、いかに前でミートするかと、筋力を上げるかと、腰の回転でカバーすることにしました。


守る方は、
落下地点の早さと言う武器を活かして、肩の弱さをカバーするために、バックホーム体制の時は人よりも前進守備することにしました。

その分後方の打球は目切りでカバーする作戦です。

その為に、打球が来た瞬間、体が動き出す瞬間には瞬発的に落下地点を予測する練習を取り入れました。



理屈は整えても、思う通りに体が動かせるかは別物なので、練習で染み付ける事で、改善していきました。

この頃には、気付きも沢山あり、楽しくなってきた感ありましたね。

同じ環境でも
視野の持ち方でこんなにも世界は変わるのか
って驚きました。


それでも一軍の壁は厚く、まだ届きません。






そうこうしてる間に、
2年生の冬が過ぎようとしていました。



ただ、思ってもなかった変化が起こります。



まず、私は毎日夜9時とか10時まで自主練習してたのですが、後輩も自主練習し始めました。

なんでこんな遅くまで練習してんの?って聞いたら、私に刺激を受けたとの事。
ちくしょう、みんなが練習してない間に上手くなろうと思ってたのに!とジェラシー妬いてしまいましたが、変わった奴だな、位しか思ってなかったです。



ただ、それをきっかけに後輩の自主練生が増えていきます。


ついには2軍の同級生全員が、自主練を始めました。
同級生全員が自主練始めた時に、
ようやく自覚したのが、
明らかに自分が突き動かしたなって気付いた。
そのときに、
何だ。補欠で最下級な俺でもチームに貢献できない訳ないじゃん!
って思えた。
ずっと無力感を感じていたのでそれは嬉しかった。
使命感すら感じてしまった。



変わるのは、チームだけでなく、周りの先生からの評判も上がってきた。

「あいつは毎日毎日欠かさず練習を行って大したものだ」
みたく見られ始めました。
特に体育教師は、そういう根性論が好きみたいですね。
割と反抗的で言うこと聞かない、何なら授業サボってたわたしがそこまでしてるのが、珍しかったようです。
すごい色々な先生に今日も頑張ってるねって声をかけられました。
気安く話しかけんなよ、とか思ってましたけどね。





あと、
レフトのレギュラーが怪我をしてしまいました。
これでレフトに大きな穴ができました。

まあそれでも私は1軍に上がれません。
1軍の試合はエースピッチャーが外野に行き、二番手ピッチャーを試し始めました。

マジひどいよ、監督!!









私が3年の春、一軍固定化が雰囲気的にも分かるようになりました。

この頃になると、分かりやすい選別が行われてきます。
1軍ではない私はダブルヘッダーでないと試合出れていませんので、ダブルヘッダー試合を逆算すると、試合出れてあと5試合だな、とか分かるようになります。



もういい加減、後が無くなってきた私は、次の打ち手に出ました。



やったことは、完全な開き直りです。

カッコよく言うと、選択と集中を始めました。




集中1
私は外野ならどこでも、できます、みたいにしてたのですが、レフト1本に絞りました。
自分の強みである守備範囲を考えるとセンターが一番活きるのですが、
センターとライトはクリーンナップを打つ一軍だったので、勝ち目は1mmも無いと判断し、怪我人の出たレフトに集中しました。
また、レフトなら強肩でなくとも太刀打ちできるから、弱点が目立たず、一番経験してきたポジションでもあり優位でした。


集中2
狙い球を絞りこみまくって強振しかしない

まず最初は変化球は全部捨てました。
って言うか、下位チームには、まともに変化球をストライクゾーンに投げる対戦相手はいませんので、変化球狙いができません。
たまにカーブがある位です。

練習では打てるようになってきても、どうにも試合だと飛ばないんで、
ムカついてきて、インコースアウトコース、高め、低めなども絞りこみました。

球種もコースもヤマを張って、その分、強振するようにしました。
だって、飛ばないんだもん。


ヤマは当てずっぽうではなく、
試合に出れない間、ベンチからピッチャーキャッチャーのクセをずっと観察してたので、その経験を活かしました。

ヤマを張るのは、巨人の元木をパクっただけではあります。



集中3
監督の好みに合わせる

どうやら監督には好きなプレースタイルと嫌いなプレースタイルがあるようでした。

それは、積極的なプレーや強気なのが好きで、
見逃し三振や弱気な姿勢が嫌いな事でした。


私は追い込まれていたので、結果を出した過ぎて
マジフォアボール出さないで欲しすぎて割と打ちに行ってたのと、強振する姿勢が、良かったようで、
「気に入られ始めてるよ」って一軍の同級生から教えて貰いました。
こりゃいいやと言うことで、
「強気なフリ」を徹底的にしました。

凡退しても、次は打ってやるゴゴゴみたいな雰囲気出したり、無駄にヘッドスライディングしたり、強気な発言や表情しまくるなど、
とにかくダメな結果でも監督の期待値だけは崩さないようにしていきました。







まあここまでやっても、一軍には上がっていません!!
ひどいよ、監督!!








3年の5月、
ダブルヘッダーの試合はもうないと言うことで出場できる最後の試合がやってきました。


もう記念になるように、思い残すことはない!無茶苦茶やってやる!ヒャッハー
と意気込んでたら、ヒットが出るようになりました。
多分試合で初めての長打も打てました。


あれは激烈嬉しかったなー。
ってか、もう記念だったので、三振になってもどうでもいいよ、やってやんよ、最後にデカイの打ちたいぜー位の開き直りしてたら、たまたま打てました。


もうヒットが出ても、遅いよ、もう終わったよ、
最後に打てて良かった、もう思い残すことはない。
俺の挑戦は終わった。
って思って、
試合会場から、皆バスで学校まで帰るのに、自分だけ走って帰るとか言って、一人になりたくて、今までを思い返しながら、嬉しくて寂しくて泣きながら帰ったのを覚えてる。
むしろ自分の夏はあそこで終わった。







そこからなんと、一軍練習に入ることになった!!

終わってなかった!!



憧れの15球のフリーバッティング、最高だった。
ニヤニヤ。
あれも嬉しかったなー。
あまりに打撃練習できなかったから、お小遣いは全部バッティングセンターに費やしてた位だったから、無料で投げてくれるのなんて、凄すぎ!最高!みたいな気分でした。


一軍の練習に出れるようになったのは、夏の大会まで残り2試合位の事でした。
そこから一軍の試合に1回出て、その時また長打が出ました。まあ、あれは相手の外野手が下手だったので助けられた感はありましたが、ラッキーも重なりました。









そして始まる、夏の大会。


背番号とレギュラー発表。


私は最後の方、一軍の試合に出てましたが、肝心な事があります。

元々レフトのレギュラーだった子がケガから復帰してきたんです。

だから、ベンチには入れる自信はあったけど、さすがに、レギュラーになれるとは思っていませんでした。

だって俺、ケガ人出てたから、たまたま出れてるだけだし、俺から見ても、彼の方が良いなあ、とか思ってました。だって実力ないし!


そしたら、










レフト!くんさん!





ん?


え?

うそ?

マジ?







ウオーーーーーーーー!!
キターーーーーーーー!!



逆転ホームラン出たーーーー!!!!


ついについに、
私は最後の最後の3年夏の大会でレギュラーになったんです!!!



打順は9番で、完全滑り込みセーフ!




そうして私は、山本リンダの「ねらいうち」のブラスバンドの応援を背にして、
最後の夏の大会に挑むのでした。

打てよー打てよーホームラン♪

あれずっと憧れてたんだよねー。








はい、これがクライマックスでございます。

回想終わり。












ここから得た、
弱者の戦略をまとめます。

1.強みと弱みを見つける
2.強みを活かし、弱みが減る勝負をしかける
3.強者とやり合わない、勝てるところで戦う
4.外部要因を味方につける
5.ワンチャンスに全リソース突っ込む
6.大振りしてインパクト出す
7.実力なくとも雰囲気は出す

弱者でも勝ち目無い訳ではありません!
やってやれないことは無いんです!
単に選択肢少ないだけなんで!






教訓をまとめます。
1.自分次第で世界は変わる。
2.なんとかなる、と言うより、なんとかする。
3.いつか、なんてのは来ない。今やるかやらないか。
4.人事を尽くしさえすれば天命は割と来る。
5.男子校には行くな。

小さくても良いから、動く事!
何かしら起こるからさ。




このときの経験は、私の人生にとって、大きな体験だったな。

大人になってからも、
辛いこと、厳しい事はあって折れそうな事もありました。
ただ、
あの時の挑戦と努力から考えれば、まだマシな方だな
って気持ちの支えになってきました。

あれから20年経つけど、
今思い返しても鳥肌モンの経験。
立ち向かってくれてありがとう!20年前の自分!






何でそんなに頑張れたのかな?って
書きながら記憶を呼び戻してみたんですが、
何でかは、分かりません。
ただ、とにかく行き場が無くて、野球ぐらいしか無かった、と言う記憶。

学校にも行きたくなくて、
親も先生も家族も全部がウザくて、
友達もいないし、田舎だし、ストニューに載ってるイケてる高校生眩しいし、何なら放課後マック行ってプリクラ撮ってる奴ですら眩しいし、男子校なので異性はオカン位しか見ないし、
背も低いし、坊主だし、ニキビだし、ロッドマンTシャツ似合わないし、間違ってエアマックス96買うし。

とにかく全部にイラついてて、
妙なエネルギーだけが、有り余ってた。

エネルギーの放出先が欲しかっただけで、
唯一あったのが部活で、打ち込めれば何でも良かった。
それで、
何かにおいて自分を証明してみたかった。
けど、無力さも同時に感じるから、
大した事もできなくてイラついて、
なんか説明ができない感じ。

イライラの当たり先みたいな。


高校生ってそういう年頃だったんだよね。
懐かしい。

























え?
そう言えば、
大会レギュラーで出場してどうだったか?
だって?


そんなの活躍してないよ!聞くなよ!クライマックスで終わらせてよ!
開き直ってたから調子良かったのにさ、本大会勝たないとダメじゃん。開き直れなくなっちゃったよ!
むしろ緊張しまくったよ!足ガクガクだったよ!
んでもって、
3回戦から元レギュラーが本復帰してレギュラー取って最終的にベスト16でフィニッシュ!

ついでに言うと燃え尽き症候群で大学はどこも受からずに浪人したよ!
しかも大学中退してニートになったよ!!



と言う華麗なオチで、締めたいと思います。

元SES営業が教える、エンジニアがSESの現場から抜ける方法

こんにちは。

Twitterで、エンジニアの人が転職しようとしてるのに、SESの現場から抜けられない、と言うのを見ました。

10年前位、SESで現場に出ていた事もあり、SES営業もやってた経験があります。※100人規模まで一人で営業してたので、かなりベテランな意見です。


その埋まってるノウハウが誰かの役に立ったらいいな、と言う事で現場撤退Tipsを書いてみます。



まず、現場から抜けられないと言われる要因は、
3つに分けられます。

1.契約の要因
一番重いのは、契約の要因です。
契約は企業間の約束事なのですが、SESエンジニアはこの内容を知らない事が多いので、営業との交渉で不利になりがちです。

契約は大体テンプレート化されるので、大体似通ってきます。

ポイントとしては、
・契約期間
・契約延長方法
です。

実は、契約期間は、大体1ヶ月契約か3ヶ月契約(四半期毎)がほとんどです。
エンド直だと1ヶ月、SIerさんのアンダーだと3ヶ月が多い印象です。景況感によっても左右されまして不景気になると1ヶ月になります。なので今だと3ヶ月が多いかもしれませんね。

延長方法が特殊でして、期間満了の1ヶ月前に申し出がない限り、自動延長になります。
なので申し出ない限り、ズルズル行く事があるあるです。

この時点で、申し出から単月契約なら2ヶ月。3ヶ月契約なら4ヶ月、現場撤退までかかることになります。

ちなみに、3ヶ月契約は、途中で契約変更を申し出れば、大体変更受理もできます。
一旦契約してしまった後に申し出ると、今の契約を破棄して契約期間を変更し、再契約し直すので、事務的な手続きが増え、ちょっぴり面接臭がられますけど、ダメってことではないです。

3ヶ月契約なら、
四半期毎になるので1月、4月、7月、10月が契約更新になります。その1ヶ月以上前の11月末、2月末、5月末、8月末が契約切れ目チャンスと言えます。

まずは、自身の契約期間について聞けば教えてもらえる筈ですので把握しましょう。
単価はピンハネ率バレるのが怖いようで教えてもらえない事が多いので、契約内容教えて、と聞くと教えてもらえないかもです。
あくまで契約期間のみを聞いてみましょう。

※私はプロパーしか営業してなかったので、
契約内容はフルオープンにしてました。
カルチャーによって、教えてくれやすさはありそうです。



2.取引関係要因

次に重いのは、取引関係要因です。

この要因は、その取引先の取引ボリュームに関係します。

契約の切れ目であることと、プロジェクトの切れ目が一致するわけではありません。
なので、
現場的には、今抜けられると困る!と言う場面もあり、引き留め交渉が入ります。

この引き留め交渉において、そのクライアントとの取引ボリュームが多い場合、営業はその人の言うこと聞きたくなり、エンジニアにネゴりにいきます。


クライアントに嫌われたくない度合が、取引ボリュームが大きいと増すんですよね。そのクライアントから嫌われて取引無くなったらどうしよう?的な強迫観念が出ます。
クライアントの満足度をあげることで追加要員の引き合いを貰う仕事でもありますし。


ただ、私の経験上、撤退で取引無くなった事は一回も無いです。。
雰囲気だけものすごい頑張って引き留めたんだよ風をクライアントに出して、頑張ってくれてありがとうって思われれば、丸く収まります!
結局、関係性は営業の腕次第ですよ。
クライアントも、SES契約や派遣契約してる時点で
いつかは撤退されるのも承知の上なのですから。


あと撤退交渉時、営業がよく言われるのが、「代替要員出して」と言われがちです。
この恐怖のワードのせいで、
代替要員を見つけられないと、撤退できないと営業は思いがちです。

でも、大丈夫。
私は代替要員見つけてきた事なんて、一度もありません。
そんな契約結んでないので、実はmustじゃないんですよ。努力目標的なやつです。
別に罰金とか取引停止とか無いですもん。


ただ、自社の売上の半分とか依存してるビッグクライアントだったり、商流の無い直契約とかだと、相手の言いなりになっていそうです。

まずは、今のクライアントとの取引の歴史や、何人入ってるか?をそれとなく聞いておくと、撤退の難易度が推測できると思います。
2の要因は契約では無いので、ホントは撤退できるんですが、営業にめっちゃ嫌がられるので、まずは撤退を早めに匂わせながら、契約期間を短くしておくと良いでしょう。


3.個人的感情
完全なエゴによる営業の感情で撤退させない時があります。これに付き合うのはアホみたいです。


例えば、滅茶苦茶苦労して開拓したクライアントなのにー!とか。

取引ボリュームがあるなら、会社業績に影響度を考えると、まだ考えてもよさそうですが、
新規取引だったり、自分一人しか入ってなかったり、商流が深かったりならば、別に抜けて良いですので、契約期間に倣ってドライに営業ごと切り捨てて良いです。

このパターンは社会悪を感じますし、エンジニアの味方ではないオレオレ営業。
若手や営業経験の浅い人でオラついてる営業だと、このパターン結構いるイメージありますね。
ベテラン営業さんだとこのパターンは、無いです。現場撤退なんて日常茶飯事。当たり前のこと。







要因パターンを把握できましたでしょうか?

これらを分かった上で、撤退しやすくするには、
自社の営業にこの情報を伝えましょう。



「プロジェクトも落ち着いたので、(1,
2ヶ月以上先の)◯月末のタイミングだと撤退を申し出やすいですよ」



要は、
契約更新タイミング1ヶ月以上前に、伝えることで
パターン1を解決し、
撤退を申し出ても現場から怒られないタイミングを教える事で、
パターン2を解決し、
安心して営業も撤退を申し出れて、ネゴもされづらいと言うことです。

契約期間が掴めてないなら2月前が目安ですかね。


落ち着く、っていつやねん?
と思ったら、忙しくは無いって時で良いです。


営業が滅茶苦茶怒られるときは、リリース前の佳境とかのタイミングで、現場から抜けると申し出る時ですもの。
営業が現場見てなかったりするの多いので、さすがにこのタイミングヤバいって時以外だったら大丈夫です。




まあ、まずは、営業に撤退を伝える前に、情報武装しておけると何かと優位ですので、
日頃からコミュニケーションしながら情報収集しておくのがオススメです。

基本的には契約更新1ヶ月前であれば、撤退出来ない訳が無いので、どの辺がボトルネックになって現場撤退できないのかを把握し、対策を練ってみましょう。
営業に押されても簡単に飲まないようにしてくださいね。


ちなみに、現場撤退決定したら、撤退日1ヶ月前位から、次の案件を営業が探す事になるので、退職申し出は早いに越したことは無いですよ。
転職迷ってても早めに切り出す位がちょうど良いです。

ではでは。